コラム TAKESHITA SANGYO

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コラム 賢人の思考 ~無縁社会と親密圏~

2020.08.24

2017.02.13-22

今回は石川雄一先生に「無縁社会と親密圏」というテーマでコラムを書いていただきました。新型コロナでますます人と人との距離が離れ、人の縁が希薄化することに私も危機感をつのらせています。

無縁社会と対局にある親密圏を維持している三重県鳥羽市答志島の「寝屋子制度」を例に挙げ、無縁社会という課題の向き合い方を分かりやすく説明されています。地域社会の問題だけでなく、今後の会社経営や一個人の働き方までつながる話しだと考えます。ぜひご一読ください。

 

 

【著者】

石川 雄一 氏

 石川 雄一 氏

 

【プロフィール】

慶應義塾大学経済学部卒業後、東京海上火災保険株式会社(現:東京海上日動火災保険㈱)に入社。主に国内営業畑を歩み、近畿業務推進部長、札幌中央支店長などを歴任

55歳で自動車メーカー保険代理店の常務取締役となり、経営と人材開発に尽力

退任後、大型自動車メーカー関連会社参与を経て退職

 

2017年に立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科入学し、2019年3月に修士課程修了。MBA(経営学修士・社会デザイン学)

2020年4月からは新たに立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科博士課程に在籍し、企業組織に関する研究の傍ら、セミナー講師など精力的に活動している

 

 

 

テーマ:無縁社会と親密圏

 

「無縁社会」という言葉を一度は耳にしたことがあると思います。恐らく大変ネガティブなイメージで、具体的にはホームレスや一人暮らしの老人の孤独死などを連想するでしょう。なぜ「無縁社会」とカッコ書きなのか、実はこの言葉がNHKによる造語だからです。

NHKスペシャル「無縁社会~ ”無縁死” 三万二千人の衝撃」が報道されたのは、2010年1月31日のことでした。この年の流行語大賞にもノミネートされ、現在に至るまで具体的なイメージをもって社会に受け入れられています。

しかし元来「無縁」は、平安時代ごろからあった言葉で[1]、世俗の縁から切れていることを意味しました。有名なのが江戸時代の「縁切寺」です。弱い立場だった妻は、ここに駆け込めば誰も手出しができない、自由の身になれる場所でした。

無縁と対比する言葉として、あまり聞き慣れないかもしれませんが、「親密圏」があります。近代化が進んだ社会では、家族や仲間との親密圏が変化しました。個人主義が浸透すれば、人間関係は弱まり、解放の代償として孤立や孤独者が増えたという関係になります。「無縁」が解放・自由から孤独・孤立というネガティブなイメージに変化したわけです。

 

三重県鳥羽市答(とう)志(し)島(じま)には、無形民俗文化財に指定されている「寝屋子(ねやこ)制度」が現在も残っています。答志島中学校を卒業した男子は、就職や進学で島外に出るものを除き、「寝屋(ねや)親(おや)」と呼ばれる家での共同生活にはいる。10人近くが一つの部屋で寝起きするような生活ですが、普段の食事は実家でするなど、100%の全寮制ではないところが特徴で、若干緩めの紐帯を結ぶとも言えます。結婚相手を探すのも「寝屋親」の重要な仕事で、当然仲人を務めます。誰か一人が結婚することで寝屋子は解散しますが、彼らは生涯の絆で結ばれた関係になるのです。

 答志島は長い歴史を持つ比較的豊かな漁村です。高校に進学するもの以外は、寝屋子として共同生活を送りながら、漁業者への一歩を踏み出すのです。いわば全寮制の漁業法人に就職するようなものです。漁業は多人数での共同作業が不可欠ですし、チームワークが整わなければ生命の危険も伴う仕事ですから、一人前になるまでの期間の実践教育が欠かせず、いわば100%OJTで育てあげる世界です。

 一方女性は大半が海女になるそうで、漁師と海女のカップルがこの村を支えてきたといえます。近年寝屋子の人数は減少しているようですが、島という特殊な環境も一因となって、家族関係を包含する独自の親密圏を永年維持して今日に至っています。

 

わが国の就労人口の推移を見ると、1950年台後半を境にして自営業者と雇用労働者の数が逆転しています。農業者の多くが勤め人となり、兼業農家化しました。自営業の二代目以降は、スーパーマーケットの従業員となりました。数十軒の商店がつぶれ、一つのGMS(総合スーパー)にかわりました。全国どこへ行ってもほとんど変わらぬロードサイドの光景を作り、地方の魅力を大きく削いだともいえます。

食糧行政の誤った舵取りのために自給率は大きく低下し、今や日本は食糧安全保障の危機的状態に追い込まれています。この問題はさておき、農村だけでなく多くの漁村でも同様の共同体の崩壊が起きています。にもかかわらず答志島の共同体は、今のところ崩壊していないし、この親密圏も生き延びています。この理由を考えると、比較的豊かな漁場という好条件はあるものの、中卒者の継続的な投入という仕組みにポイントがあると思います。島という生活圏で、実に計画的な新陳代謝が成立しており、答志島漁業法人の経営システムは、いわば新卒一括採用終身制の理想的な展開を実現してきました。

一方、自営業からGMSの従業者となった人たちはどうでしょう。ほとんどの女性労働者は非正規雇用で、就業率は向上しても暮らしは豊かになったでしょうか。第一次産業や自営業だった時代は、いやでも地域連携が必要でした。その煩わしさを感じ都会へ出た人が多かった、その結果が無縁社会を作ってしまったのでしょうか。

 

無縁社会の話から対極にある典型的な親密圏、答志島を紹介しました。寝屋子制度が今後も続くかどうかはわかりません。しかし都会で個人化が進み解放された人々は今、逆に縛られたコミュニティに懐かしさを感じているように見えます。元来が農耕民族だった日本人は、本質的に親しい仲間との共同体を求めているのではないでしょうか。コロナのステイホームは意外な側面をあぶり出したようです。企業のメンバーシップ制がなかなか無くならないのは、従業員が仲間を求めているからかもしれません。

 

 

 

[1] 網野善彦『無縁・公界・楽』(むえん・くがい・らく)、1978。

2017.02.13-22

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