竹下産業株式会社

コラム TAKESHITA SANGYO

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コラム 賢人の思考 ~「津波てんでんこは重たい言葉」~

2022.04.25

2017.02.13-22

先般の3月16日にも大きな地震がありましたが、津波てんでんことは「津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守れ」という意味だそうです(1)。

時間の経過とともに東日本大震災の記憶が薄れつつありますが、「災害は必ずやってくる」ことを念頭に、弊社でもみなさまへのサービス提供を寸断させないため、リスクコミュニケーションの醸成に努めております。

八星篤先生に「津波てんでんこ」についてコラムを書いてもらいました。災害を忘れないために、ご一読いただきたいと思います。

※弊社のリスクコミュニケーションの取り組みについては、下記URLサイトをご覧ください。

https://www.r-station.co.jp/trc/

※弊社の企業活動の詳細については、下記URL動画をご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=2AZ3fj2mlHs&list=PL2YBFVHoWdiYkPKJIa4HW8Ym7M7Q82PLO&index=2&t=1300s

 

出典:(1)警視庁ホームページ 「津波てんでんこ」より

 

 

○著者プロフィール

つくだ社会科学研究所

代表 八星 篤(はちぼし あつし)氏

八星 篤氏

1972年 東京大学経済学部卒業

1972年 第一勧業銀行入行
1996年 広報部長
1997年 企画室長
1998年 横浜支店長
2000年 執行役員調査室長 兼 第一勧銀総合研究所専務取締役
2002年 みずほ銀行執行役員調査部長 兼 みずほ総合研究所専務取締役 
同年 みずほ銀行退職
2003年 株式会社サカタのタネ監査役(社外)就任
2008年 株式会社サカタのタネ取締役(社外)就任
2013年 株式会社サカタのタネ取締役辞任

現在、危機管理、経済・金融等の講演・研修活動に従事 。なお、八星氏は高杉良著「金融腐食列島」シリーズの登場人物のモデルの一人と言われている(八星氏が第一勧業銀行総会屋事件時の広報部長時代がモデル)。

 

 

○テーマ

「津波てんでんこは重たい言葉」

 

東日本大震災から11年

3月のマスコミ報道はウクライナ問題が中心でしたが、11年が経過した東日本大震災についても関連した様々な特集がTVや新聞で報道されました。今年は東北三県や千葉県、茨城県などで直接被災された方々が再起に向けて力強く立ち上がられた姿や、被災された時は小学生だった方々が成人されて、それぞれのやり方・感じ方で、この震災について語り継いでいこうとする意欲などが報道の中心でした。また、被災地を支援するために必死で努力された方々の存在が多いことを改めて知ることが出来ました。例えば、東北本線・常磐線という基幹鉄路が通行不能となり、高速道路も使用できなくなった状況下で、生活に不可欠な石油を横浜の根岸から盛岡まで、1,000㎞に及ぶ数多くの鉄路を使い、石油が運搬されました。このためには、電気機関車、ディーゼル機関車を全国から総動員して、その配備やスケジュール、人員の手当てを関係者の総力を挙げて取り組んだそうです。その詳細は複雑で、ここでお話する余裕はありませんが、もし、再放送されることがあれば、是非ご覧いただくことをお勧めします。一方で、未だに行方不明の方、故郷に帰還がかなわない方が多数いらっしゃいます。福島原発の廃炉の見通しも極めてあいまいな状況です。東日本大震災そのものについて、直接被災された方々だけでなく、直接の被災はまぬがれた我々も忘れることは無いでしょうが、それでも我々の鮮明な記憶は徐々に薄れていきます。しかし、2000年以降だけでも、東日本大震災のみならず、地震、火山噴火、水害、雪害等様々な自然災害に日本はみまわれています。企業や個人の防災意識や防災対策は東日本大震災以降高まっていますが、この意識・対策を継続していくことが重要です。これを考えていく上で「本当に緊急の場合に、なにが最も重要か」は非常に選択に迷うところです。そもそも1つに絞ることが無理なのだろうと思いますが、あえて選ぶとすれば、以前にこのコラムでご紹介した、私が2013年に東日本大震災を実際に体験された方のお話「地震の後は必ず津波が来る。何をおいても、まず逃げて命を守ることが最も大切だと身に染みている。これは、今後も後輩に言い伝えていきたい」と口をそろえて仰っていたことだと思います。まずはわが身、わが命を守る、これは三陸地方で何度も大地震・大津波を経験した方々の伝承としてよく言われる「津波てんでんこ」に通じるところが多いと思います。

 

津波てんでんこの4つの意味

津波てんでんこについては、京都大学教授の矢守克也先生が日本自然災害学会の学会誌「自然災害科学」に「津軽てんでんこの4つの意味」と題する詳細な論文を書かれています。

今回はこの論文のポイントに沿って、津波てんでんこ(以下てんでんこ)と言う言葉が多面的な意味を持つ複雑で重たい内容であることをご紹介しつつ、私達が自然災害に現場で対処する場合の行動あるいは事前に準備すべき心構えとして重要な論点であることをお話したいと思います。

 

てんでんこについて矢守先生が論述されている4つの意味の第1は自分の身は自分で守るという自助の大切さです。災害時には自助、共助、公助の3つが重要ですが、緊急時避難の鉄則は自助にあります。といっても自分だけ助かればよいという、ある種自分勝手なことでは決してありません。むしろ、緊急時には他者のことが気になるのは当然だけれども、やむに已まれず、まずは自分を守ることを優先するという厳しい鉄則です。

てんでんこの第2の意味は他者避難の促進です。すなわち、率先して避難することや、近所の人に避難を呼びかけながら避難することは、他の人たちが避難する大きなきっかけになるということです。この意味は当初私も十分理解できませんでしたが、各種アンケートや東日本大震災の時の避難した動機調査でも、近所の人が避難しているのを見かけた、町内会での避難の呼びかけがあったということが上位にランクされています。最初にてんでんこする人の波及効果は予想以上に大きい。まさに、自助がみんなで助かるための共助につながるという意味です。

てんでんこの第3の意味は相互信頼の事前醸成です。てんでんこは緊急時の行動だけでなく、日常の事前準備でもあるという意味です。少し分かり難いですが、要約すれば非常時にてんでんこがきちんと機能するためには、てんでんこをする当人が自分の大切な人もそれぞれがてんでんこをすることを確信している。すなわち、災害の事前に、関係する人がてんでんこをすることについて話し合い、それを信頼しているからこそ、緊急時にてんでんこという行動をとることが出来る。この相互信頼の輪を広げるためには、日常での話し合いや教育が重要だということです。東日本大震災の時に地震の揺れが収まった直後に避難しなかった人に対する理由の調査では①自宅に戻った②家族を探しに行ったり、迎えに行った③家族の安否を確認していたが上位を占めていて、津波の危険性を考えなかったという回答を上回っています。こう考えるお気持ちは痛いほど良く分かります。

てんでんこの第4の意味は生存者の自責の念を提言することとされています。率直に申し上げて、この概念は私も完全に理解しているとは言えないものがあります。ただ、被災された方々が「私は生き残ったのに、何故あの人は亡くなったのだろうか、それには私にも責任があるのではないか」という無念さや悔悟の情を持たれることは理解できます。亡くなられた方も精一杯てんでんこしたはずという気持ちが負担を和らげることはありうると思います。これはてんでんこと言う言葉が何度も震災や津波に襲われた三陸地方だからこそ伝承されているとも考えられます。

これらの4つの意味という指摘は「津波てんでんこ」と言う言葉が多様な意味を含む複雑で重い言葉であることを明らかにしています。もちろん、この論文に示されているようにてんでんこには、これだけでは解決できない課題がいくつかあることも事実です。

例えば、てんでんこが高齢や障碍でそもそも困難な方への対応、共助を目的とした地域の消防団や自主防災組織のメンバーが擁護を必要とする方々の対応をさておいて、自分だけがてんでんこ出来るかという心の葛藤などがあることは決して否定できません。これからも起こるであろう大規模自然災害に備えて、これらの課題の解決策を常に模索していかなければならないと感じます。

 

父の想い出

さて、これから先は、私の子供のころの体験などについて、多少はご参考になることもあろうかと思い、私的事柄ではありますが、お話したいと思います。

私は小学生の時、父の勤めの関係で福島県いわき市に住んでいました。東日本大震災では、いわき市も大きな地震・津波の被害を受けましたが、私が小学生の頃は誰も津波に襲われることなど考えてもいませんでした。学校でも地震の時は家の中の安全な場所にいて、むやみに外に出てはいけません。瓦やガラスが飛び散っていて危険ですという教育を受けました。一方、私の父は5歳で関東大震災に神奈川県鎌倉市で被災しました。関東大震災は、東京では火災の被害が大きかったのですが、鎌倉では地震・津波の被害が大きかったそうです。

父は住んでいた家の下敷きになり動けなくなりましたが、近所の大工さんが柱を切って助けてくれたそうです。その後、地元の人が地震の後には必ず津波が来るから急いで逃げろと言われ、懸命に高台に逃げて九死に一生を得ました。

その体験が強烈だったのでしょう。父は大きな地震が来ると真っ先に家から飛び出して逃げました。私をはじめ家族は「お父さんは、家族を残して一人で逃げて冷たい。学校でも、地震の後むやみに外に出るなと言われている」と父を非難していました。しかし父は「まずは自分の命を守ることが大切だ。それでなければ、家族や近所の人を助けることはできない」と言い「強い地震では家がつぶれる。その後、津波が来るかもしれない。外に逃げることが先決だ」と譲りませんでした。実は、私はこの時は、全く父の言葉が理解できませんでした。

しかし、自分で東日本大震災を経験してみて、父の真意がようやく理解できたように思います。津波てんでんこではない関東大震災てんでんこですが、その意味するところは共通です。

これは自然災害の危機対応を考える場合、最も重要なポイントだと今は私も思っています。東日本大震災については、地震の揺れも、東北三県などと比べれば小さかったと思いますし、私自身も津波の被害はありませんでした。それでも私にとっては生涯で最大の地震でした。しかし11年が経過してみると、その時の自分の行動の記憶が薄れつつあることが分かりました。自分があの時どう行動したか、何を見たか、何を感じたかを記録することは大切だと考え、少しずつ自分の記憶を記録にしています。

 

リスクコミュニケーションの重要性

また、3月は緊急時の装備品を点検すると共に、家族とのリスクコミュニケーションとして、てんでんこをお互いが守ることを再確認しています。自然災害のリスクマネジメントには、どのようなリスクが起こるか、事前に想定することに限界があること、対応策もあくまで、机上で検討され過去のデータに基づいて分析が行われているので、実際には活用が不可能なこともあり得ます。その限界を踏まえて、事前に、起こりうることの想定、これに対するマニュアルの制定をすることは有用です。ただ、マニュアルを絶対視することは避けなければなりません。緊急時には、災害現場それぞれの状況が大きく異なることが想定されますから、現場に権限を委譲することが最良の対策だと思います。そして権限委譲がスムーズにできるように、日頃から現場の管理者を教育・指導することや想定されるリスクについての分析・検討結果を、関係者で話し合っておくことが必要だと思います。今は自然災害等の場合、何を差し置いても、すぐ逃げろというのが、個人や企業でも規則・マニュアルになっていますが、何十年たっても、それが基本の規範として続けていくためには、訓練・教育、話し合いの繰り返しが不可欠だと考えます。

 

2020年6月25日の千葉県東方沖地震、2021年2月13日・2022年3月16日深夜の福島沖地震いずれも東日本大震災の余震(今は余震とは言わないそうですが)東日本大震災の本震後に起きたM7以上の地震は今回で12回目です。11年を経過しても東日本大震災の余震が続いているという事実には驚かせられます。この3年間、私達の生活を大きく変えた新型コロナ肺炎もそうですが、自然災害やパンデミックは我々が日頃考える時間軸や常識とは大きく異なることを認識させられました。

 

何かと思うので、機会があれば、改めて、お話させて頂くこととしたい。

2017.02.13-22

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