竹下産業株式会社

コラム TAKESHITA SANGYO

インフォメーション

コラム 賢人の思考 ~銀行の現場で支店長として経験したこと~

2022.06.20

2017.02.13-22

メガバンクで役員を務められ、多くの部下を持たれいた八星 篤 先生に、マネジメントについての記事を書いていただきました。

部下とどう接していけば良い職場になるのかを、ご自身の体験から述べられておられます。

上司でなくても、後輩一人でも持てばマネジメントは必要となります。親子関係でもマネジメントは必要になります。マネジメントはみんなに必要なことだと考えています。

レジェンド 八星先生の体験談をぜひご一読ください。

 

○著者プロフィール

つくだ社会科学研究所

代表 八星 篤(はちぼし あつし)氏

八星 篤氏

1972年 東京大学経済学部卒業

1972年 第一勧業銀行入行
1996年 広報部長
1997年 企画室長
1998年 横浜支店長
2000年 執行役員調査室長 兼 第一勧銀総合研究所専務取締役
2002年 みずほ銀行執行役員調査部長 兼 みずほ総合研究所専務取締役 
同年 みずほ銀行退職
2003年 株式会社サカタのタネ監査役(社外)就任
2008年 株式会社サカタのタネ取締役(社外)就任
2013年 株式会社サカタのタネ取締役辞任

現在、危機管理、経済・金融等の講演・研修活動に従事 。なお、八星氏は高杉良著「金融腐食列島」シリーズの登場人物のモデルの一人と言われている(八星氏が第一勧業銀行総会屋事件時の広報部長時代がモデル)。

 

○テーマ

「銀行の現場で支店長として経験したこと」

 

私は銀行に入社して以来、10年間支店の担当者として勤務していましたが、管理職の経験なしに、本部に転勤し、企画部・調査部で8年間担当者・管理者として働いていました。

初めて支店長として現場の責任者になったのは1992年横浜市の上大岡支店でした。この間に金融の自由化が進み、私が現場の担当者だった時とはまったく違う環境になっていました。支店長に就任しましたが、最初は果たして自分に支店長が務まるだろうかとても不安でした。でも幸運なことに、補佐をしてくれる副支店長に恵まれました。彼は現場のたたき上げで、営業管理、人事管理、事務管理について、マニュアルや手続きには示されていない現場としてのノウハウが豊富で、そのノウハウを私に惜しみなく教えてくれました。私が上大岡や横浜で支店長として何とかやっていくことが出来たのは、彼の教えのお陰だと今でも思っています。このコラムでは、私が主として横浜支店で経験したことをご紹介しますが、横浜での諸問題への対応でも、上大岡支店での副支店長の教えを実際に活用したことが多かったと感じています。

 

私は1997年の広報部長の時には、総会屋事件が発覚し、銀行の信用が崩れることの怖さを知りました。また、その後の企画室長の時には、山一證券や北海道拓殖銀行の破綻という金融界未曽有の大事件の中で様々な事柄の処理にあたりました。その後、98年6月に横浜支店長となりました。既に2店舗目の支店長でしたし、支店の規模も大きく人員も多かったので、上大岡支店に比べれば楽だろうと思っていました。しかし、すぐに、私はこの認識の甘さをさとりました。営業でも事務でも、大きな支店であることが、かえって、職員の気の緩みにつながっている面がありました。横浜支店着任後、まずはお客様とのこれまでのお取引の内容を自分で頭に入れることから始めました。何にも知らずにお伺いした方が良いというアドバイスもありましたが、私は、上大岡の副支店長の「何も知らずに訪問するのは失礼だ。読んでわからないところをお客様に聞くべきだ」という教えが正しいと思っていましたので、お客様に関する書類を大急ぎで読み、その後、各お取引先をお訪ねました。

 

お客様へのご挨拶が一段落した時には、既に2ヶ月が過ぎようとしていました。そこで、私は、営業面や事務面での改善に取り組むことにしました。実は、お客様への訪問をしていた時に気になったことがありました。訪問中に用件を思い出して支店に電話をした時に、ずっと通話音が鳴りっぱなしなのに、誰も電話に出ないのです。こんなことが何回もありました。ちょうど、その頃、支店では「お客様への応対を向上する運動」を展開していて、毎朝、朝礼でも「リーンと鳴ったらすぐ出よう」という標語を唱和していました。でも現実にはリーンと鳴っても誰も出ない。標語の唱和も言われてからやっているけれども、実は本気でやる気は無いというこの支店の実態を表していると私は考えました。いずれ、これを指摘して、改善を図らなければならないと思っていましたが、現場の支店長の職員に対しての影響力は想像以上に大きく(職員の人事権の一部は支店長にありました)、何かを叱る時には、緊急性の判断、実態の把握、叱るとした場合の手法・場所等様々なことを考えなければなりません(これも上大岡支店で教えてもらったことです)。

 

この時は、まず電話応対の実態把握から始めました。数日間、特に忙しい日を選んで、電話の対応状況を観察してみると、不思議なことに、電話対応が出来そうな人は、皆、電話にでているのに、電話は鳴り続けているのです。一体なぜこんなことが起きるのか、私は訳が分からず、支店に5年間在籍している課長にその理由を知っているか尋ねました。課長が説明してくれた理由はそもそも第一勧業銀行横浜支店の発足時からの経緯に遡る驚くべきものでした。第一銀行と日本勧業銀行の横浜支店が統合して第一勧銀横浜支店になった時の人員は200名を超えていたそうです。従って、電話回線も200名体制をカバーできる契約となっていました。しかし、現在では人員は半減し、そのため、現状の体制では、電話回線が多すぎて、繁忙時に全ての電話に対応することは不可能に近い状況だったのです。電話対応に対するお客さんの苦情も頻繁にあったようでした。課長に電話回線を減らそうという考えは無かったのかと聞いたところ、前に上司と相談した時には「お話し中が多くなり、お客様に迷惑をかけるからダメだ」という結論になったということでした。しかし、私の考えは全く違いました。お話し中になるより、電話がなり続けるのに誰も出ない方がよっぽどお客様はイライラされるものだと思いました。早速、電話回線を半減することにして「只今、電話が大変混雑しております。申し訳ありませんが、もうしばらくしてからお掛け直しください」というテープが流れるようにしてもらいました。お客様からのクレームも無くなり、支店の電話料金も回線減少により、かなりの節約になりました。

 

その一部で従来から事務の皆さんの希望が強かったFAXの専用機を購入することが出来、支店の皆さんも喜んでくれたました。私も、もちろん嬉しかったですが、私にとって最大の収穫は、すぐに叱責をせず、まず状況を確認することによって、何故こうしたことが起こっているのかを把握でき、その改善が図れたことでした。上大岡の教えが無かったら、多分私はすぐに、朝礼で「お客様の電話にすぐ出ようと唱えるだけでは無意味だ」叱ったでしょう。そして、支店の皆さんは「自分たちは精一杯やっているのに、こんどの支店長も実情を全く理解していない。まあ、これからも何も変わりは無い。同じだ」と感じたでしょう。私が、たまたま着任直後にこれを体験したのは幸運だったと思います。このことがあって以来、部下を叱る場合には、明らかに法令や規則に違反する行為を除いて、理由・タイミング・場所・相手の性格などを慎重に検討した上で、叱るかどうか、叱るとしてもどのように叱るかを決めるようになりました。その後、様々なケースに遭遇する中で、企業において上司が部下を叱るということはケースバイケースで対応が異なる非常に高度なテクニックだということが分りました。現在はハラスメントに対する規制も厳しくなっていますから、事情をきちんと確認せず、相手を過度に傷つける叱り方をすればハラスメントに問われる危険性もあります。その一方で、それを恐れて見過ごせば、緊張感のない、規律の緩んだ職場になってしまいます。これも、支店全体としてのリスクマネジメントから見れば、非常に危険な状況です。叱るための技術を体得することは今や、経営者・管理者としての必須事項になっていると思います。

 

この電話の件から派生して、私がもう一つ気付いたことがあります。それは、横浜支店のように伝統があり(横浜支店は旧第一国立銀行が日本で初の銀行として創設された翌年の明治6年に開設されています)、規模も支店としては大規模である支店ほど、時流の変化に即応できず、従来からの手法を継続している可能性があることでした。ただ、これを具体的に探し出すのは、相当に手間が掛かるとも思いました。そこで私が試してみたのが、職員(正規・非正規を問わず)との面談によって話を聞いてみるという手法です。当時、正規職員への個人面接という制度はありましたが、部下の意見を聴くというよりは、それぞれへの営業や事務の個人目標を示すという「上から下へ」という色彩が濃いものでした。私はあえて面接と言う言葉を使わず「面談」にしました。順番も非正規職員も含めた事務担当の担当者から始めました。わたしは「日頃仕事の上で感じることなら何でも話をしてほしい。例えば、職場環境でこの点は改善して欲しい。この仕事はもっと簡略化できるはずだ。上司や同僚のこの態度は問題だ。この取引先は無理ばかり言ってくるので、出来ないことは出来ないと断って欲しい等何でもよい。もちろん、この場で聴いた話は私限りとして、誰にも言わない。改善が出来ることから進めていく」と前置きしました。もっとも、彼女らにとっては、初めてのことですから、何をしゃべったらよいかもわからなかったと思います。ともかくは、どんな話でも辛抱強く聞くことに徹していました(これも上大岡の教えです)。

 

面談では、とかく、支店長は「その件は知っているが改善は難しい。その点はこうした方が良い」などと自分の演説になりがちですので、その点は十分に注意していました。この面談を数回やると、わりに活発な人がようやくぽつりぽつりと話をしてくれるようになり、やがて全員が話してくれるようになりました。ほとんどの話は私が知らない話でした。もちろん、話の中には要望に沿うことが不可能に近いものや改善にはかなり時間が掛かるものも相当ありました。ただ、私は「それは無理だ」と直ぐ言わずに「難しいとは思うけど、努力してみる。その経過は必ずまた話をする」と言い、経過報告もしていました。

 

その後も、面談は続けましたし、そのうちに、面談の場以外でも、比較的気軽に話をしてくれるようになりました。上司や同僚、取引先に対する不満などの微妙な話はそれだけでは判断できませんが、私とはまったく違う観点の意見なので参考になりました。相談を受けたことで、未然に不正を防いだり、セクシャルハラスメントをいち早く知り、速やかな対応を図ることも出来ました。これを通じて、私は部下とのコミュニケーションという、これも、管理上必要不可欠だけども、難しい技術を、現場に即した形で得ることが出来ました。マニュアルや参考書に書いてあることは一般論であり、間違ってはいないけれども、現場にそのまま適用するにはふさわしくないことがあることも学びました。私は、図らずも、電話にすぐ出ないということを、すぐには叱責してはいけないという上大岡支店の副支店長のアドバイスを活用したことから、その後の支店の管理上、極めて重要な2つの技術を習得することが出来ました。さらに、私は、この経験から、支店長として、ますます、多忙になっていく中でも、現場管理に活用できる手法を色々考えていくということが自然に身につきました。これらについては、次回お話したいと思います。

2017.02.13-22

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