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コラム 賢人の思考 ~コロナ禍を契機に考えたこと、その2~
2022.01.17
2022.01.17
前回に続き、八星篤先生に第一勧業銀行総会屋利益供与事件当時の体験を書いていただきました。
バブル崩壊の歴史の一ページとして、当社のホームページのコラムに残しておきたいと思います。八星先生の貴重な体験をぜひ読んでください。
○著者プロフィール
つくだ社会科学研究所
代表 八星 篤(はちぼし あつし)氏
1972年 東京大学経済学部卒業
1972年 第一勧業銀行入行
1996年 広報部長
1997年 企画室長
1998年 横浜支店長
2000年 執行役員調査室長 兼 第一勧銀総合研究所専務取締役
2002年 みずほ銀行執行役員調査部長 兼 みずほ総合研究所専務取締役
同年 みずほ銀行退職
2003年 株式会社サカタのタネ監査役(社外)就任
2008年 株式会社サカタのタネ取締役(社外)就任
2013年 株式会社サカタのタネ取締役辞任
現在、危機管理、経済・金融等の講演・研修活動に従事 。なお、八星氏は高杉良著「金融腐食列島」シリーズの登場人物のモデルの一人と言われている(八星氏が第一勧業銀行総会屋事件時の広報部長時代がモデル)。
○テーマ
「コロナ禍を契機に考えたこと、その2」
前回、総会屋事件を認識しつつも、正常化バイアスに陥っていたこと、そして連綿と続いている事項に疑問を抱き、必要と思えば改めることや社会に通用する常識的な危機感を持ち対応することが当時の企業では意外に難しかったこと、そして広報部長である自分もその体質にどっぷりとつかっていたことについて、1996年末までをお話した。
今回は、1997年に入ってからも、そこから中々抜け出せなかったことについてお話する。
野村証券の総会屋への損失補填問題はさらに拡大していった。
3月には社長が辞任し、3月25日に東京地検の家宅捜索が行われた。この頃になると、野村証券の不祥事に関連して、DKB(第一勧業銀行)から総会屋に対して資金供与が行われているとの観測が広がり、我々に対する大手マスコミの取材も活発化した。3月中旬、NHKが「DKBの関係子会社が総会屋の小池隆一サイドに融資している」と報じた。実際に小池側に融資していた会社は子会社ではないので即座に報道内容を否定したが、我々はますます追い詰められた気分になった。
97年4月5日恐れていたものが来た。読売新聞が「一勧が総会屋側に50億円融資…」と報じたのだ。翌日は休日だったが、この問題への対応を協議するため、経営トップ、法律顧問、企画、広報の関係者が集まった。この席でも法律顧問は「総会屋への直接の融資ではないし、これまで融資が利益供与と認定されたことはない」という顧問弁護士と同じ理屈で「商法違反にはならない」と断言した。私も、この日ですら、それを固く信じていた。法律顧問・弁護士の楽観論をあざ笑うかのように、読売の報道を機にDKBと総会屋の関係を追及する記事が各マスコミで氾濫するようになった。このため、関係役員と企画・総務・広報の関係者による情報交換会を毎朝開くことになった。しかし事態の打開に役立つものではなく「何かやっていないと不安だ」という追い詰められた雰囲気のはけ口に過ぎなかった。行内の情報連絡は不備が多かった。東京地検の動きの情報が必要だったが、地検がどんな取り調べをして、聴取を受けた者がどのような答えをしたのかについても、広報部では断片的なことしかわからなかった(3月から5月までは何と総務部が中心となって取り調べ内容のヒアリングをしていた)。
その後、野村証券は4月に代表権を持つ役員退陣させ(1人だけ代表権のない会長として残した)、新たな経営体制を敷いた。私は、DKBが強制捜査を受けた場合、野村証券がすでに大幅な経営交代を実施していることから、少なくとも会長・頭取の退陣は不可避と思っていた。それから間もなく、常務会で事件対応の議論がされたとき、広報部長として傍聴していた私の意見を求められたので「野村の状況からすると、マスコミ等を納得させるにはかなりの決断が必要と思う」と発言した。
ある専務から「決断が必要と言っても、仮にトップ交代を決めるとすると、どうしても一定の時間を要する。とりあえず、広報部長から中間報告的な記者会見をやれないか」という意見があった。私は「役員人事を含めた当行としての方針が決まっていない状況での記者会見は、かえって、DKBは何も考えていないのかと言われて事態を悪化させると思う」と断った。今では、専務の発言の方が正しかったと思っている。記者会見で私がマスコミから徹底的に叩かれることは間違いないが、それでDKBが置かれている状況が、より行内で鮮明になり、トップクラスの議論も、もっと進んだと思う。
私の本音を言えば、記者会見で広報部長として自分が徹底的にやられる矢面に立ちたくないという思いが先行して、意見を冷静に受け止める判断が出来なかった。やらないための、もっともらしい理屈はいくらでも付けられるという事例である。
5月の中旬になると、内幸町の本店ビル前の路上に、NHKや民放各局の中継車がずらりと並ぶようになった。強制捜査が始まったときの”画面“を撮るために、待ち構えているのだ。1997年5月20日に家宅捜索が入った。家宅捜索には100人を超す検察官や地検の職員が参加。午前9時から深夜まで、丸一日続いた。大手都市銀行の本店に強制捜査が入ったのは前代未聞。総務部が反社会的勢力に対する商品券等の交付等の直接的な利益供与を行っていたことも、証拠が押さえられたらしいという情報も伝わってきたが、確たる情報は無かった。
東京地検の家宅捜索は、当然ながら新聞、テレビで大々的に報道された。
4月初めに新聞が総会屋向け融資について報道した時、預金はほとんど減っていなかったが、家宅捜索後は一気に流出し始めた。特にインパクトが大きかったのが、100人を超す地検職員が本店の正面玄関から段ボールを抱えて入ってくるシーンがテレビのニュースやワイドショーで繰り返し放送されたことだ。
信用が何より大事な銀行にとって、この映像ほどイメージの悪化をもたらすものはないだろう。これを見た預金者の間に「もしかしたらDKBはつぶれるのではないか。その前に預金を安全な所に移しておきたい」といった不安感が広がり、多数の顧客が解約に押し寄せた。まさに取り付け騒ぎだったのだが、それが大きく報道されることはなかったのは幸いだった。
誰もがスマホで写真や動画を撮影でき、SNSで瞬時に情報が拡散する現在なら、大変な事態になっているだろう。
6月の株主総会後会長・頭取が辞任し、2人の副頭取がそれぞれ会長、頭取に昇格することを5月23日の取締役会で決定し、同日夕方の記者会見で発表することになり、広報部長だった私はその準備に追われた。
記者会見を前に、私が一番頭を悩ましていたのが、会見での頭取の冒頭発言であった。前代未聞の不祥事を起こした銀行のトップとして「なぜこのようなことが起こったのか、今後の経営の方向性をどうするか」についてマスコミを通じて世間に伝えなければならないが、私自身にはその文章を作る力がないことを自覚していた。これ自体が、広報部長として、基本的な能力に欠けると思ったが、躊躇している時間は無い。私はこれが可能だと思うある先輩に文章作成を引受けてもらった。
総会屋融資を引き継いだ理由を論理的に説明するのは難しく、やろうとすれば膨大な説明を要する。そこを彼は「過去からの呪縛」という表現で細かな実態に触れず、しかも納得性のある一言で表現した。この後「呪縛」という言葉は、DKB総会屋事件を扱った小説のタイトルになっただけでなく、様々な企業不祥事などでも使われるようになる。今後の経営の方向性についても「過去の不透明な取引を断ち切る」と断言し「清冽(せいれつ)で透明性の高い経営を目指す」と明確に表現した。ハートの銀行を標榜し、心のふれあいを大切にする優しさを訴求してきた銀行にとって「清冽」はこれまでのイメージとは相当に異なる面もあったが、あの時点ではこれしかない最適の言葉だった。
この後も、6月から7月には再度の経営陣の大幅な交代、頭取候補だった副頭取の逮捕(私は今もこれは冤罪と思っているが・・・)を含め、役職員11名が逮捕・起訴、頭取・会長を務めた方の自死など、振り返ってみても大変な事柄が次々に起こった。
私は、広報部長を交代する7月末まで、記者会見、マスコミ対応、ディスクロージャー誌の作成、広告の取り扱い等広報部長の本来の仕事に加えて、新組織の作りこみ等の仕事にも多少参画する機会を得た。その中で、感じたことは様々あるが、広報部長の反省として①コンプライアンス等について勉強不足であった。例えば、すでに米国では、金融機関のコンプライアンスについて、相当の検討がなされていたが、まったく知らなかった。
②前回も書いたが、過去からの慣習をなんの疑いもせずに、そのまま引き継いできたし、しばしば理由もなく何とかなると思っていた(他行も同じことをやっているという正常化バイアスや、最後は銀行のために大蔵省が動いてくれるという思い込み→実際には大蔵省にはそんな意向は無かったのだが)。
③まさか、都銀であるDKBが資金調達に苦労するとは思いもしなかった。そもそも、DKBは日々数兆円の資金を市場調達しており、それが出来なくなれば資金繰りが一気にひっ迫するという現実すら知らなかった。
いずれにしても倒産あるいは他行に吸収合併されても不思議ではない危機を良く乗り越えることが出来たと思う。
最後に「いわゆる4人組の活躍」について、ひとこと触れておきたい。「4人組」が組織の立て直しに活躍したと言われ、私もその1人とされているようだ。しかし、私の認識は違う。
「4人組」は高杉良 氏の小説「呪縛」によってつくられた創作と感じている。小説がある種のヒーローを設定して書かれることは、小説家の自由であり能力でもある。
ただ、現実にDKBがあの難局を乗り越えられたのは、取引先の厚い支援、新経営陣の適切な指導、そして最大のものは銀行の現場の第一線で厳しい中を奮闘した行員の皆さんの努力によるものだと私は今でも思っている。4人で出来ることなどたかが知れているのである。
6-7月、それ以降の何とか生き残るための努力についても、語ることは沢山あるが、この話ばかりが続くのも如何かと思うので、機会があれば、改めて、お話させて頂くこととしたい。
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竹下産業の広報部からのレポートです!
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