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コラム 賢人の思考 ~コロナ禍を契機に考えたこと、その1~
2022.01.04
2022.01.04
バブル崩壊の見た生き証人として、八星篤先生が自ら経験された第一勧業銀行広報部長時代の出来事を回顧していただきました。
有名な出版社やサイトでもない当社ホームページに、“歴史の真実”を記事として新年早々掲載できることをとても光栄に感じております。
高杉良氏著「金融腐食列島 呪縛」には書かれていない当事者の視点・考えを皆様にもぜひ読んでいただきたいと思います。 - 実体験に勝る教訓なし
○著者プロフィール
つくだ社会科学研究所
代表 八星 篤(はちぼし あつし)氏
1972年 東京大学経済学部卒業
1972年 第一勧業銀行入行
1996年 広報部長
1997年 企画室長
1998年 横浜支店長
2000年 執行役員調査室長 兼 第一勧銀総合研究所専務取締役
2002年 みずほ銀行執行役員調査部長 兼 みずほ総合研究所専務取締役
同年 みずほ銀行退職
2003年 株式会社サカタのタネ監査役(社外)就任
2008年 株式会社サカタのタネ取締役(社外)就任
2013年 株式会社サカタのタネ取締役辞任
現在、危機管理、経済・金融等の講演・研修活動に従事 。なお、八星氏は高杉良著「金融腐食列島」シリーズの登場人物のモデルの一人と言われている(八星氏が第一勧業銀行総会屋事件時の広報部長時代がモデル)。
○テーマ
「コロナ禍を契機に考えたこと、その1」
一昨年来、コロナの感染が続きました。まさかこのように長期にわたって続くとは予想していませんでしたので、パンデミックの怖さを知らされました。今も、世界ではオミクロン株の感染者が急激に増加しており、まだ、安心できる状況には遠いようです。
2年余り、特に高齢者には自粛生活が求められる中で、皆さんのような現役の方々と比較すれば、はるかに小さいと思いますが、私の暮らしもそれなりの変化がありました。
仕事の関係では、大部分を占めていた研修・講演の仕事がほぼゼロになりました。研修・講演自体を中止あるいは延期される企業が多かったことが最大の要因でしたが、中には、丁度私が70歳を超えたので、これを機に、若手の方を活用されるところもありました。仕事がほぼゼロになったことは、収入が激減するという痛手がありましたが、それ以外にも大きな影響がありました。
私は、コンプライアンスやコーポレートガバナンス、危機管理・危機対応、経済・金融情勢という私の研修・講演の主要なテーマに関することに目を配り、毎日、新聞やテレビ等の情報を整理・検討することをやってきました。しかし、この作業は仕事の予定があるからこそ、続けることが出来たのです。期限や目標がない中で、段々この作業、特に整理・検討をしっかり行うことがおろそかになりはじめ、ただ表面的に事象を眺めているだけになりました。
事実関係を整理した上で、その根っこにある風土や世間の考え方を自分なりに掘り下げることが重要なのですが、これを、毎日、やるためには、相応のエネルギーが必要です。目標がない中で、いつしか、私は、掘り下げて物事を考えることが苦痛になり、手を抜くようになりました。いったんこうなってしまうと、元のレベルには戻りません。
そこで、少しでもこの状態から抜け出したいと思い、これまでの私の研修・講演の資料を読み直すことを始めてみたら1つ気が付いたことがありました。資料は、その時点での最新のテーマや今後起こりうることを取り挙げて、当時では、まずまずの内容だったと思いますが、新しいテーマを追えば追うほど、自分が体験した事実をお話することが少なくなり、お話するにしても、自分の失敗はあいまいにし、自分に都合の良いことを強調するなど、アレンジ・脚色をしていたことが分かりました。この説明だけでは、抽象的で分かりにくいと思いますので、このコラムで、なんどか、私が過去を振り返り感じたことについて出来る限りそのままお話したいと思います。
まずは、1996-97年に私が第一勧業銀行(以下DKB)の広報部長として体験したいわゆる総会屋事件について、その時の自分の行動や考えていたことがどんなことであったかを率直にお話してみたいと思います。
私がDKBの広報部長に就任したのは、1996年の6月でした。そもそも、その時点では、私は総会屋については1983年の商法改正によって、総会屋に対する利益供与が商法違反とされたことは、知っていましたが、利益供与とは具体的にはどんなことか等の内容は全く知りませんでした。まして、広報部が関わりを持っているなどとは想像もしていませんでした。
しかし、広報部が担当する広告の中には(現在は広報と広告の担当セクションを分けている企業が多いようですが)、従来から総務部の依頼による広告の掲載が続いていました。
広告価値という観点から見れば、発行している雑誌の知名度はなく、発行部数も極めて少数で、それにしては広告料が高いので、無価値に等しいものでした。それでは、私はその広告掲載を拒否したでしょうか。当時の私は拒否することなど思いもしませんでした。銀行全体でも総務部からの依頼は受け入れるという習慣が続いていましたし、従来から引き継がれているものをわざわざ見直すという発想は全くありませんでした。それどころか、この広告を、常識的にみておかしい、もしかしたらあまり芳しくない筋かもしれないと思うことすらなく、全てを承認していました。これが当時の企業の体質を忠実に反映したサラリーマンとしての私の行動であり、それは私の体に感覚としてしみ込んでいたのです。
私が、総会屋の親族に巨額の貸出があり、その大部分が不良債権化していることを知ったのは、96年10月半ば、ある新聞社からの問い合わせがきっかけでした。
問い合わせのあった貸出自体は既に返済されており、その旨回答して一応決着しました。ただ、念のため、関連する貸出の有無を確認したところ、数十億円の貸出があり、その大部分が不良債権化していることを知りました。しかし、その時もこれは大変なことだという意識はありませんでした。当時、バブル崩壊の影響で数十億円の不良債権は多数存在していましたし、総会屋自身に対する貸出では無かったので、たいした問題ではないと安易に考えていました。
ところが96年11月私の認識を大きく揺さぶる事が起こりました。この件とは別の総会屋(彼自身は既に死亡していましたが)に対して約1億円の貸出がありましたが、担保不動産の処分によって、その大部分を回収していました。その回収手続を巡り、総会屋の遺族との間で争いがあり、最終的に裁判に持ち込まれ、DKBは勝訴しました。裁判の結果が公示された時、新聞社より、経緯の説明を求められ記者会見を開きました。私もDKBの関係者も不動産処分によって大部分を回収しているので問題は無いという認識でしたが、記者会見での展開は、まったく異なる状況になりました。
我々は、不良債権の大部分は担保処分により回収しており、問題は無いと繰り返し主張しました。しかし、記者の質問は「この債権が回収されたかどうかが問題ではなく、そもそも都銀のトップバンクであるDKBが総会屋に融資を行っていたこと自体が問題である」と言う点に集中しました。
まさか、その点に焦点が当たるとは予想していなかったので、債権は回収しているということを繰り返すしかありませんでした。記者会見は記者の納得が得られることなく、すれ違いの質疑応答が続く中で終わりました。
記者会見が終わったことはほっとしましたが、総会屋に対する融資そのものが、銀行にとってあるべからざるものだという記者の認識と、債権が回収されているならば、それ程問題ではないとする我々の認識との間に大きな差があること(いわゆるパーセプションギャップ)には驚きました。
しかも、その時、既に私は総会屋直接では無いものの、総会屋の親族関連に対する数十億円の融資があり、その大部分が不良債権化していることを知っていましたので、この事実が公に明らかになった時はいったいどうなるのだろうという漠然とした不安感を抱きました。
総会屋グループはDKBからの融資の一部で株式投資を行うと同時に4大証券会社の株を大量に保有していました。バブルの崩壊により、彼らは大幅な損失を被りましたが、株の大量保有を圧力として、証券会社に損失補填を求め、証券会社も最終的にこの要求に応じました。
証券会社社員の内部告発等により、証券監視委員会が調査を進め、東京地検も動き始めました。こうした情報が地検の動きに詳しい人からもたらされ、私の不安はますます高まっていきました。
1996年の年末は、私にとって、生涯最悪の年末でした。年が明けても事態は変わりません。しかしこの時でも、事実を公表して、多少でも事態の収拾を図ろうという考えは全くありませんでした。
本来、これを組織の中で真っ先に考えなければならない広報部長の立場にありながら、何とか収まるという拠り所は、今から考えれば薄弱でした。
1つは当時の顧問弁護士が「本件は総会屋の親族に対する融資で総会屋に直接なされたものでは無いこと、またあくまで融資であって、これまで融資が利益供与とされた判例は無いことから商法違反には該当しない」という見解だったことです。
また私は、多かれ少なかれ、どの銀行も同じようなことをやっているだろうと漠然と思っていました。
前者については、これまで判例がないからと言って融資が利益供与に当たらないとは即断できないという意見もありました。後者についても、私が事実関係を確認したわけでは無く、当初は何となく、そうだろうと思う程度でしたが、段々、それが事実であるかのように思い込んでいきました。
ほかの銀行がやっているからDKBも大丈夫というのは、冷静に考えればおかしな話です。危機管理において、正常化バイアスに注意と言う原則があります。自分にとって都合の良い情報を選択し、都合の悪い情報を無視したり過小評価したり、危機が迫っている状況下でも「我々は大丈夫」「まだ大丈夫」などと思って、対応が遅くなり、事態がますます悪化することを指しています。もっぱら自然災害の際の逃げ遅れの原因となると言われることが多いのですが、事件・事故の際にも当てはまります。まさしく、この時点での私はまさに正常化バイアスに陥っていたと、今にして反省しています。
連綿と続いている事項に疑問を抱き、必要と思えば改めること、社会に通用する常識的な危機感を持ち対応することが、当時の企業では意外に難しかったこと、そして広報部長である自分もその体質にどっぷりとつかっていたこと、お恥ずかしい限りですが、私のこのような行動は、その後も続きます。その内容については次回お話させて頂きます。
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竹下産業の広報部からのレポートです!
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