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コラム

コラム 賢人の思考 ~航空機の事故について その②~

賢人の思考

2度目の命拾い

 

1985年(昭和60年)8月12日(月)18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行日本航空123便ボーイング747SR-100(ジャンボジェット)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落しました。

 

乗客・乗員520名が死亡、奇跡的な生存者(負傷者)は4名でした。

 

死者数は日本国内で発生した航空機事故では2015年7月の時点で最多であり、単独機の航空事故でも世界最多です。

 

今年の8月12日で事故後満34年になります。

 

私は当時住友銀行の研修所長兼東京研修所長として、東京・大阪間を往復していました。

 

銀行は航空会社の大株主で、株主優待券を使うと運賃が安くなります。

 

出張旅費節約のため本部職員はなるべく飛行機を利用することになっていましたので、羽田空港・伊丹空港間を毎週往復していました。

 

私は乗り物が大好きでしたから、毎週の飛行機での往復は全く苦にならず、むしろ楽しんでいました。

 

  例えば伊丹空港(大阪国際空港)は滑走路が1本なので、大体滑走路のどのあたりに着陸するかが分かります。

 

乗った飛行機によっては、いつもより手前に着陸する、いつもより先の方に着陸する、滑らかに着地する、ドスンと着地するなど色々です。

 

一度着地寸前に急上昇しました。「滑走路前方に飛行機がまだいましたので」とアナウンスされましたが、新聞記事にもなりませんでした。

 

  私は、1985年8月12日の午後6時羽田発日本航空123便に搭乗する予定でした。

 

その日は、午後6時からは銀座にある会社の会議室で京都大学法学部同窓会の幹事会がありました。

 

私は東西往復の生活でなかなか出席出来ず、その日の会合も欠席の「はがき」を出していました。

 

ところが前の週の8月8日(木)の午後、ふと「時には同窓会の会合に出席しなければいけないかな。」と思いました。大阪から東京の幹事会社に電話をしました。

 

社長の秘書の方が「眞崎さん、時にはご出席になって下さい。」とあまり熱心に言われるので予定を変更し、翌13日の朝の便に変えました。

 

  12日午後9時過ぎに帰宅したところ、家内が「日本航空の飛行機が行方不明になっているので、搭乗していたのではないかと大阪の人事部から照会がありました。」と言います。

 

早速大坂に電話をして「乗っていませんでした。」「良かったですネ。」ということになりました。

 

テレビを見ますと乗客名簿が流れていて「ああ、ここに名前が出ていたかも知れなかったのだ。」と思いました。

 

  翌朝、まだ機体が確認されていない午前7時羽田発の日航機に乗りました。

 

機内には新聞がありません。乗客が「新聞は。」と聞くと、乗務員は「今日は積んでおりません。」と答えました。

 

1面に大きく書かれている「日航機行方不明」という新聞は一切ありませんでした。

 

また、朝になっても全国どこの空港にも不時着していないのですから、絶望的な状況であるにも拘わらず「現在弊社の飛行機が行方不明になっておりまして、大変ご心配をおかけしております。」とのアナウンスもありませんでした。

 

墜落が確認されていないから、何も言わない触れないということに当時の日本航空の企業体質が良く表れていると思います。

 

 住友銀行の関係者では、OBの子会社の役員、現役の調査部長のお二人が遭難されました。

 

他人ごとではないので、私はお二人のご葬儀に行きました。

 

調査部長の幼いお子様を見て涙が出ました。

 

ご遺族に代わってお二人のご遺体の確認にあたられた銀行の部長のお話をお聞きしました。

 

お一方は歯型で、お一方は胸のポケットにあった資料で確認出来たとのことでした。

 

会社の力を借りられず、ご自分たちで遺体の確認をしなければならならなかったご遺族の辛さ、悲惨さは胸を打ちます。

 

遺体安置所の藤岡市内の学校の体育館には死臭が充満し、部長はご帰宅後衣類は焼却したが、髪の毛の死臭がなかなか取れなかったと仰っていました。

 

  NHKの特報首都圏「問い続けた30年 日航機事故の遺児たち」を見ました。

 

機長の娘さんは、事故直後から「人殺しの娘」と罵られる日々を過ごし、加害者側として生きることを強いられたましたが、最後まで力を尽くした機長の父親に誇りを持って生きて来られ、亡き父親の思いを受け継いで、現在は日本航空の客室乗務員となり、飛行機の安全を守っておられるそうです。

 

大阪商船三井船舶神戸支店長の河口博次さん(52)の遺体の上着の胸ポケットに入っていた手帳に7ページにわたって書かれていた遺書も映し出されました。

 

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「マリコ 津慶 知代子どうか仲良く がんばって ママをたすけて下さい

 パパは本当に残念だ きっと助かるまい 原因は分らない

今五分たった もう飛行機には乗りたくない どうか神様たすけて下さい

きのうみんなと 食事をしたのは最后とは

何か機内で 爆発したような形で煙が出て 降下しだした どこえどうなるのか

津慶しっかりた(の)んだぞ  ママこんな事になるとは残念だ さようなら

子供達の事をよろしくたのむ 今六時半だ飛行機はまわりながら急速に降下中だ

本当に今迄は 幸せな人生だった と感謝している」

 

○2010/8/10 11:41 日本経済新聞 電子版 『父の「遺言」胸に25年 日航機墜落直前「幸せだった」』 より

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私の誕生日は8月11日です。事故日は満52歳1日、河口さんと同じ歳です。

 

もし私が搭乗していた場合、こんな立派な遺書が書けたとは到底思えません。

 

戦中派の方から、この遺書が鉛筆で書かれていることについて、「それは軍人の嗜みなのです。」と教えられました。

 

戦時中ですから、万年筆の時代です。

 

インクは血でにじんでしまうので、「遺書は鉛筆で書くものだ。」ということでした。

 

河口博次さんはご立派です。今この文章を書きながらも涙が止まりません。

 

住友銀行のお得意先ハウス食品工業の浦上郁夫社長、歌手の坂本九さんもこの事故で亡くなられました。

 

 

事故後連日悲惨な状況が次々に報道され、誠にキザな話ですが、朝目が覚めると「生きているだけで幸せだ。」と思う毎日でした。

 

暫く経つとまた不平・不満を覚え、事故1年目の色々な特集を観て改めてまた「生きているだけで幸せだ。」と思い直しました。

 

毎年8月12日に、また想いを新たにすることになります。

 

「二度あることは三度ある。」と言います。「三度目の正直」とも言います。

 

飛行機に乗りたくてたまらず、新婚旅行で初めて飛行機に乗った喜びを忘れられなかった私ですが、「三度目もまた助かるのか」、はたまた「今度こそは駄目なのか」と色々な思いがして、その後は仕事などで止むを得ない場合以外は、積極的には飛行機には乗らないようになりました。

 

京都大学法学部同窓会の幹事会のメンバーからは「貴方はこの会のお蔭で助かったのだから、一生この会に奉仕しなさい。」と言われ、京都の大会に出席しました。

 

メンバーのお一人はわざわざお祝いの席を設けて下さいました。

 

熱心に会への出席をすすめて下さった幹事会社の秘書の方が結婚退職された時には心ばかりのお祝いを差し上げました。

 

ロンドン赴任に当たり、私に同窓会の幹事を引き継ぐようすすめて下さった銀行同期の友人も命の恩人の一人だと思います。

 

何故、事故の前の週の8月8日(木)の午後にふと「時には同窓会の会合に出席しなければいけないかな。」と思ったのか、理由は全く見当たりません。

 

ただ8月12日は母の命日です。

 

子供としては亡き母が天国へ来るのを止めて呉れたのだと信じています。

 

運命ということを強く感じます。

 

事故の翌年銀行を退職しました。

 

銀行生活29年、第二の人生も今年で33年です。

 

幸いに生き永らえた第二の人生を有意義に過ごさなければ神様に申し訳ないと思います。

 

1985年(昭和60年)8月12日(月)に亡くなられた520名の御霊安かれと心から祈念申し上げます。

 

【著者】

眞崎リスクマネジメント研究所

代表 眞崎 達二朗(まさき たつじろう) 氏

真崎様

 

【略歴】

眞崎リスクマネジメント研究所代表。安全サポート㈱特別顧問。

京都大学法学部卒。1957年住友銀行入行し、本店支配人などを経て、同行退職後、山之内製薬株式会社役員、銀泉株式会社役員など歴任。

中小企業庁「中小企業BCP 策定運用指針」作成プロジェクトの有識者会議メンバー。

【著書】

「危機管理対策必携 事業継続マネジメント(BCM)構築の実際」、「急がれるBCPの導入とキヤッシュフロー対策」、「災害危機管理読本」、「企業コンプライアンス」ともに共著

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