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コラム 賢人の思考 ~ 「父の関東大震災時の話」 ~
2019.06.17
2019.06.17
先週に続き、つくだ社会科学研究所 代表 八星 篤(はちぼし あつし)氏にコラムを書いていただきました。
○テーマ
「父の関東大震災時の話」
東日本大震災の影響を現に受けた方々はもちろん、報道等であの姿を目にし、記憶している人たちがいる限りは、これを忘れることは決して無いと私は思います。
例えば、原子力発電所の再稼働はともかく、新規建設は少なくとも今後70-80年はありえないだろうと思っています。
その一方、直下型地震の脅威が大きいと言われつつも、関東大震災の実像についての感覚は薄れています。
大正11年9月の震災の日、私の父は6歳で神奈川県鎌倉市の海岸近くに住んでいました。
この時の話を父は時々しましたが、まず地震で家は潰れ、父はその下敷きになりましたが、たまたま近所に大工の棟梁がおられて鋸(ノコギリ)などで、父を助け出してくれたそうです。
祖母に背負われて鎌倉大仏の方へ逃げ出したのですが、あっという間に、津波によって水かさが増え、祖母の胸まで海水が迫り、近所で最も高台であった長谷観音へ逃げ、九死に一生を得たと言っていました。
事実、昭和6年に鎌倉町役場が刊行した「鎌倉震災誌」によれば、当時の鎌倉町の全世帯の70%が全半壊し、死者も400名を超えたそうです。
現在、鎌倉は内外の観光客で溢れかえっており、関東大震災の時にはなかった海岸線沿いの道路もあります。
ハザードマップは基本的に住民のために作られていますが、地域の状況を良く知らない観光客を地震・津波が襲った場合はどうなるのか、想像がつきません。
関東大震災の記憶は強烈なものとして父の意識の中に残ったようで、太平洋戦争後、父の仕事の関係で、我々が福島県勿来市(現いわき市)に移った後も、多少大きな地震があると、父は必ず外に飛び出すか、少なくとも外に出られるようにドアか窓を開けていました。
当時、私は小学生でしたが、いわき市は津波に襲われたことはなく、小学校では、地震の時、「外に出てはいけません。」と教えられていました。
父の行為を見て、不思議なことをすると思ったことを記憶しています。
しかし、東日本大震災の時はいわき市でも私が、かつて住んでいたところまで津波に襲われました。
まさしく「想定外」の事態でした。
日本人は、自然に対して諦観を持っているわけではなく、対策は出来る限り講じるが「想定外」が起こりうる。
そのことを体験として知っているのです。
マニュアルは重要ですが、緊急時には、そのマニュアル通りではない行動をとることがあり、「想定外」に対しては「臨機応変」で対応しなければならないのが、日本でのリスク管理と緊急時対応の基本にならざるを得ないと考えています。
関東大震災の直接体験は失われつつあります。
とすれば、それを伝承してかなければなりませんし、また時代の変化に対応する必要もあるでしょう。
それが、自然災害が多発する日本(あるいはアジア)における最善のリスク管理であって、欧米諸国との違いはむしろ当然ではないかと考えています。
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