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悼む(いたむ)こころ
2026.08.24

2026.08.24

前回に続いて石川雄一氏に「死」や「命」についてご執筆いただきました。
石川氏のコラムから「人の命が軽くなっている」ことに対して警鐘を鳴らしておられるように感じます。
誰もが来る死に対してどう向き合っておかなければならないのか、コラムを通じて考える機会にしていただきたいと思います。

慶應義塾大学経済学部卒業後、東京海上火災保険株式会社(現:東京海上日動火災保険㈱)に入社。主に国内営業畑を歩み、近畿業務推進部長、札幌中央支店長などを歴任。
55歳で自動車メーカー保険代理店の常務取締役となり、経営と人材開発に尽力。退任後、大型自動車メーカー関連会社参与を経て退職。
2017年に立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学し、2019年3月に修士課程修了。MBA(経営学修士・社会デザイン学)
現在立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科博士課程に在籍し、企業組織に関する研究の傍ら、セミナー講師など精力的に活動している。
前回「三人称、二人称、一人称の死」について書いたが、そのまとめとしてもう一度お付き合い願いたい。初めにお断りしておくが、筆者は無宗教者であり特定の信心は持たず、むしろ合理的に考えがちなタイプである。どちらかといえば、例えば「こころ」とか「キズナ」のような寄り添う言葉は苦手である。死や命についても、ドライに受け止めている。生き物は死ぬために生まれてくる。死ぬことによって、人類は生き延び繁栄してきたという考えに賛同する。
しかし近年、人の命が軽くなっていると感じることが多い。原因はさまざま考えられる。例えば、ゲームに「死」は存在しない。それは単なる符号であって、三人称の死にすら該当しない。空想空間での死が、現実の世界での死と同じように思っている人はいないだろう。しかし報道される第三者の死は、もはや死と感じられないのかもしれない。あまりにも多くの三人称の死が報道されることで、ドラマにおける死と同様の重さしか感じられなくなっている。現実世界で行われている殺人は、小説やミステリードラマでのそれを超えた驚くレベルのものがある。犯人自身ではなく、ゲームのように単なる駒として殺人を行ってしまい、その結果罪の意識が拡散し希薄になっている。
命の重さが感じにくくなる要因として、筆者は一つの仮説を持っている。それは、第二人称の死に接する機会の減少である。核家族化が進展すれば、祖父母、両親と同居する時間が少なくなる。盆暮れに田舎に帰り、祖父母に歓迎されても1週間もすればお別れである。優しいおばあちゃんに可愛がってもらった体験が少ない。そして、おばあちゃんの死に直面することはない。葬式には行くだろうが、すでに冷たくなったおばあちゃんと対面する。その時、優しいおばあちゃんとの思い出はどれだけ心に残っているだろうか。二人称の死としての喪失感があるだろうか。
両親の死はどうだろう。ほとんど同居しておらず、例えば病に倒れてから見舞いに行き、年老いては直接介護することもなく、施設に入っているかもしれない。施設や病院で死を迎えれば、その場に立ち会うことも少ないだろう。筆者は母が病院で息を引き取るとき、たまたまそこに居合わせたので、まさに死ぬ瞬間を目の当たりにした。突然呼吸をしなくなるのだと知った。
近年家族葬が主流になり、遺族も多くの人に連絡する労が要らず合理的ではある。社会的にも、葬式の簡素化などを後押しするようになった。それは子や孫の世代にとって、葬儀の厳粛な空気に接する機会が少なくなったということだ。先祖代々の墓が遠方なら、放置されたり、墓参りの習慣も薄れつつある。
肉親以外の二人称とは、友人知人の死である。中年を過ぎれば、年の近い、あるいは年下の知人の訃報に接することがあるが、それは親以上に心に迫る。二人称の死に立ち会う経験は、命の尊さを心に刻む。死ではなく、生きている命こそ尊いものだ、という意識を育むのである。
人は他者との関係性で存在が成り立っている。仙人にでもならない限り、人間関係は無くならないはずである。にもかかわらず多くの孤立死が発生している。誰にも看取られず、悼まれずなくなる命が多いと聞く。その理由の一つが、個人情報保護の観点である。今や住所録などない。年賀状は減っているし、まして手紙を書く人など皆無だろう。それに代わるものがSNSによる情報伝達である。
しかし、普段SNSを介してきわめて親密な関係性を保っていたとしても、ある日突然それが途切れる。その時、どうやってコンタクトをとるのか。病に倒れたとか、亡くなったなどの情報はどこから得られるだろうか。きわめて親密だったはずの二人称の命が、いきなり霧のように消滅するのだ。二人称の死を悼むことが不可能になっている。前回記した三人の二人称の死では、葬儀に参列できたのは一人だけだった。
一人称(自分自身)の死は、二人称の裏返しだと前回述べた。年齢に関係なく、自分の死に際して、それを二人称の死として悼んでくれる人がいるのならば、その人のリストを書き残しておかなければならない。家族には、二人称の死として悼んでくれる人たちがいることを思い出してほしい。故人を大切に思うのであれば、最低限その報を伝える責務があるのではないかと思う。

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